top of page
京都から岩手へ

御用染師として呼ばれ、京都から北東北へ。
KAGURA の歴史は、江戸時代に遡ります。
1599年、京都より岩手に居を移してから約425年の時を刻んでおります。
代々KAGURA は、裃(かみしも)、鎧下(よろいした)、小袖(こそで)、旗指物(はたさしもの)、幟(のぼり)幔幕(まんまく)等
武家階級の注文を受け、藍を主体に染色していました。

1200_History_Museum).jpg
425年余続く職人技とクリエーション

KAGURAの文様は、構成がダイナミックでありながら、日本人の繊細な美意識が感じられる構図が特長的です。
武士達の豪快な気性と、美術を好む風雅な気質が受け継がれ、長い年月を経ても変わることなく継承されてきました。

江戸時代、各武将の領地には、それぞれ独自の文様があり「止め型(とめがた)」や「約束型(やくそくがた)」と呼ばれ、身に着けることで出身地を示していました。そのため、他藩での使用を禁じられておりました。
また居住地が、遠く都から離れた北であったため、他の地方からの影響や技術が伝わることが少なく、模倣されずに独自の世界観を持つこととなりました。

ひとつひとつの文様には、繁栄、健康、成功、良縁、富貴などの幸せへの願いが、身近な動植物になぞらえ表現されています。
昔、武士だけに使用を許されていた図柄は、現代において用途を広げ、色褪せることなくのびのびと自由な輝きを放っています。

bottom of page